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2014年 02月 19日

冬の妙心寺 -海福院-

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海福院へ。(2011年1月23日訪問)

※今年の京の冬の旅で公開中の妙心寺塔頭はこちらへ→大法院聖澤院龍泉菴



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海福院は普段は非公開の塔頭ですが、2011年の第45回 京の冬の旅で26年ぶりに公開されました。
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武将・福島正則の菩提寺であるほか、狩野探幽筆の「猿回しの図」など、見どころが多くありました。
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海福院は、豊臣秀吉の腹心、賤ケ岳七本槍で有名な福島正則が創建した妙心寺の塔頭で、福島家の菩提寺となっています。
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襖絵には狩野探幽の筆による「猿回しの図」や狩野益信の「山水図」があります。
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この猿回しの図は、妙心寺法堂に雲龍図を描くため、ここ海福院に寝泊まりしていた狩野探幽が、
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酒に酔って、新調されたばかりの金箔唐紙の襖に、猿回しの絵を悪戯に描いたものと言われています。
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探幽は当時の住職からこっぴどく怒られたとか。
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他にも、福島正則が賤ヶ岳の戦いで敵の首を討ち取った槍が残されています。
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本堂前に広がる庭園は江戸時代の読本作者で、「都名所図会」を刊行者として知られる秋里籬島の作といわれる江戸時代後期のもので、
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庭に据えられた半月の手水鉢は、江戸時代の絵師・円山応挙の作と言われています。
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本堂の襖絵や文化財を観た後は、
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苔地に石組や飛石が続く庭園を歩きました。
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庭園から方丈を見渡した後、奥へと進むと、
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福島正則と家臣のお墓がありました。
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こちらの大きい五輪塔が福島正則のお墓で、
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家臣のお墓と寄り添うように並んでいました。
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この後、海福院の特別公開は行われておらず、貴重な拝観となりました。

by kyoto-omoide | 2014-02-19 14:45 | 京都(冬) | Comments(0)
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