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2014年 09月 19日

ならまち散歩 -元興寺-

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世界遺産・元興寺へ。(2012年10月14日訪問)



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ならまちの中心に位置するお寺「元興寺」。
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元興寺は、蘇我馬子が飛鳥の地に建てたわが国最古の寺院、法興寺(飛鳥寺)を平城京に移したものです。
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奈良時代には東大寺や興福寺と並ぶ大寺院でしたが、中世以降次第に衰退して、現在は元興寺と名乗る寺院は2つに分かれています。
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その一つがこちらの元興寺の極楽坊で、
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浄土教が広まるにつれてその中心は極楽坊に移っていきました
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それは極楽坊に、奈良時代に智光(ちこう)が画工に描かせた浄土曼荼羅(智光曼荼羅)が安置されていたからです。
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現在もその智光曼荼羅がご本尊となっています。
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古くから残る極楽坊の本堂は国宝に指定され、
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屋根の一部に飛鳥法興寺から移されたとみられる瓦が用いられています。
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本堂の周りには、
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ハギが名残の花を咲かせていました。
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本堂を回り込んでいくと、
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白ハギの向こうに、
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石仏群が見えてきます。
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青空に美しい瓦屋根が映えていました。
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禅室の前に広がる石仏は、
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浮図田(ふとでん)と呼ばれ、
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寺内や周辺地域から集めた2500基の石塔・石仏類(総称して浮図)を、
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田圃(たんぼ)の稲の如くに整備されたものです。
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この石仏は鎌倉時代末期から江戸時代中期に、
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近在の人達が浄土往生を願って、極楽坊周辺に造立した供養仏塔と言われています。
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長年の年月を経て、
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苔に埋もれ、
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お顔も微笑んでいるようにみえました。
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石仏の間には、
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名残の桔梗が咲いていました。
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初夏には石仏を包むように咲き誇る桔梗の群落を見ることができます。
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禅室の向かいには、
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極楽院の旧庫裏・小子房があります。
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秋の花が供えられていました。
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小子坊の西側には茶室・泰楽軒があり、
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素朴な風情の露地庭園が広がっていました。
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南都七大寺の1つに数えられ、奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院だった元興寺ですが、
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1451年(宝徳3年)におこった土一揆で、金堂や小塔院などが焼失し極楽坊と五重塔・観音堂は残りましたが、焼け跡に民家が進出し、町になってしまいました。
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その町が現在のならまちで、その一角に元興寺塔跡があります。
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かつて元興寺の金堂・講堂・五重塔があった場所で、
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現在は東大寺の末寺となっています。
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境内に残る基壇と礎石の規模の大きさから、興福寺の五重塔(約51m)をしのぐ高い塔が立っていたことが想像できるそうです。
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そしてもう1か所、
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奈良町豆腐庵こんどうのすぐ横に、
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元興寺小塔院跡があります。
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当時の元興寺の伽藍の跡地として現在残っているのは、元興寺極楽坊と元興寺塔跡、そしてこの小塔院跡の3か所のみとなっています。
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小さな門をくぐり、
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美しい木造の建物を背に、
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咲く芙蓉の花を眺めながら、
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奥へと進みます。
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ここは元興寺内の収蔵庫内に現存する国宝の五重小塔を安置する堂が存在したところで、現在は江戸時代に建立された虚空蔵堂が建っています。

by kyoto-omoide | 2014-09-19 09:30 | 奈良 | Comments(0)
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