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2012年 08月 25日

夏の高野山へ -金剛峯寺(中編)-

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高野山真言宗の総本山金剛峯寺。(2011年8月21~22日訪問)



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正門をくぐると、正面に桧皮葺の大屋根の建物が見えてきます。
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これが金剛峯寺の大主殿。本堂にあたる建物です。
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「金剛峯寺」という名称は、弘法大師が『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられ、
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この主殿は東西約60m、南北約70m大きさを誇ります。
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檜皮葺の屋根の上には「天水桶」が置かれ、普段から雨水を溜めておき火災が発生した時に火の粉が飛んで屋根が燃えあがらないように桶の水をまいて湿らし、少しでも類焼を食い止める役割を果たしています。
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主殿に外からお参りした後は、
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内部の拝観時間まで境内を歩いてみます。
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主殿の隣に囲いがされた入り口が見えます。ここは金剛峯寺の表玄関にあたる大玄関で、先の正門と同じく天皇・皇族や高野山重職だけが出入りされました。
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振り返ると、鐘楼と先ほど通ってきた正門が見えます。
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大玄関から鐘楼を見て、
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奥のほうへ歩いていきます。
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この鐘楼は、金剛峯寺の前身となる青巌寺の鐘楼で、元治元年(1864年)に再建されたものと考えられています。
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正門を超えて進んでいくと見えてくる小さな池の向こうに立っているのは経蔵です。
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振り返ると正門、鐘楼が続き、
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主殿のほうに戻っていきます。
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大玄関の向こうにはもう一つの玄関、小玄関が見えてきます。
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しばらくするとお堂の障子も開けられ、金剛峯寺の内部の拝観時間となりました。
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受付を済ませ中に入ります。主殿の中からは正面に正門を見渡し、
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縁側に出てみると、鐘楼、正門など広がる境内を見渡しました。
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廊下を伝って奥へと進んでいくと、
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小さな石庭が広がっていました。
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書院上段の間の前には江戸時代に造られた「中庭」が広がり、その当時には、池の周りに高野六木(こうやろくぼく)(杉・檜・松・槇・栂・樅)がそびえ立っていたそうです。
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そして奥にあるのが「真然大徳廟」。「真然僧正」は、弘法大師の甥にあたり、高野山第二世として高野山の経営、教学、弟子育成など、多方面にわたり大師の遺志を守り、その基礎をを固めたということでここに祀られています。

by kyoto-omoide | 2012-08-25 08:00 | 和歌山 | Comments(0)
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