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2012年 08月 28日

夏の高野山へ -奥の院(後編)-

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いよいよ金剛峰寺と並ぶ高野山信仰の中心地「奥の院」へ。(2011年8月21~22日訪問)



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奥の院への路は、まず一ノ橋を渡ることから始まります。
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一ノ橋を渡ると杉木立の中に路が続いています。
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奥の院は高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている、まさに聖地です。
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振り返ると先ほど渡った一ノ橋が見えます。奥の院へは正式にはこの一ノ橋から参拝します。
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一ノ橋から奥の院御廟までの約2㎞の道のりには、
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20万基を超えると言われる諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が続き、
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樹齢1000年を超える杉木立の中に立ち並んでいます。
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墓石の間にはさまざまな表情のお地蔵さんが現れ、
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そっと手を合わせながら歩いていきます。
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杉と高野槙の並木道に続く石畳の路は、
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遥か昔から、高野山を訪れ弘法大師御廟所へ参詣する人が歩んできた路。
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その重みを噛みしめながらゆっくりと歩いていきます。
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参道の両側には、大小、新旧あわせて数十万基とも言われる石塔が立ち並び、
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木々の緑や苔に包まれ、
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悠久の時間の流れを感じます。
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杉並木を通り抜ける風も、心地よさの中に厳粛さを感じました。
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立ち並ぶ石塔は、皇族から名もない人々まで、あらゆる階層の人々のものがあります。
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日本古来の信仰では、山中は「他界」であり、死後の魂の行くところと解されていました。
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高野山周辺には、人が死ぬとその人の頭髪を奥の院に納める「骨上せ」(こつのぼせ)という風習があったそうで、
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こうした古来の山岳信仰に、弘法大師の永眠する高野山奥の院に墓碑を建てたいという人々の願いが加わって、
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この膨大な石塔群が形成されたものと考えられています。
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また一つお地蔵さんを過ぎると、
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中の橋が見えてきました。
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木漏れ日の影が落ちる石畳の橋を渡ります。
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さらに奥へと路は続きます。
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橋のたもとにあるお堂は地蔵堂。中には汗かき地蔵をお祀りしています。この汗かき地蔵は世の中の人々の苦しみの身代わりとなり一身に受けているので、いつも汗をかいていると伝えられています。
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中の橋と汗かき地蔵を後にして、
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参道はなだらかな坂道になっていきました。
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坂の途中を少し上ったところにあるのが密厳堂。
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杉木立に抱かれひっそりと佇んでいました。
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またお地蔵さんに挨拶して、
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今度は緩やかな石段を上がっていきます。
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何百年と時を重ねたであろう杉の切株に石仏が寄り添うように並んでいました。
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参道に建ち並ぶ墓所は様々な階層の墓碑が分け隔てなく並びますが、
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最も多いのは武将、大名の墓だそうです。(全体の約4割)
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その中でも秀吉以降の戦国時代から江戸時代にかけての大名の墓所が多く見られます。
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戦国時代、敵・味方に分かれていた武将たちも、ここでは一緒に静かに眠っています。
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こちらは豊臣家墓所。織田信長に続いて秀吉も高野攻めを行いましたが、高野山の木食應其上人の説得により中止。その後應其上人に帰依して高野山の復興につとめました。この墓地には秀吉をはじめ、母公、大納言秀長、同夫人の墓があります。
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毛利家墓所に、
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上杉謙信廟など、それぞれの武将たちの生きてきた時代、歴史を感じながら歩いていきます。
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お地蔵さんに供えられているのは高野槇。
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高野槙は特に高野山に多く自生し、
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弘法大師が御仏前に花の代わりに供えたことから、
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現在でも高野山では仏事には欠かせない物の一つとなっています。
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このため、奥の院の入口一ノ橋前などでは高野槙を販売する屋台がいくつも見られます。
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一ノ橋から、たくさんのお地蔵さんや、
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墓標を見ながら歩くこと約1時間。
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奥の院に到着しました。
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まず御供所でひと休みします。
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そして、この御廟橋の奥がまさに霊域、弘法大師の御廟がある場所になります。この先は写真撮影も禁止、漂う霊域の空気に背筋が伸びます。
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参道の奥に見えるのは灯籠堂。さらにその奥に弘法大師御廟があります。
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御廟は厳粛な雰囲気に包まれ、多くの参拝者が熱心に弘法大師に手を合わされていました。
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弘法大師御廟へのお参りを終えた後は、再び来た道を戻っていきました。
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緑と静寂と厳粛な空気に包まれた奥の院は、霊場高野山のまさに聖域中の聖域でした。

by kyoto-omoide | 2012-08-28 09:30 | 和歌山 | Comments(0)
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