MEMORY OF KYOTOLIFE

kyotomoide.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2012年 10月 23日

亀岡祭 -宵々山①-

亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_2372140.jpg
2年前の10月、亀岡の鍬山神社の秋の例祭「亀岡祭」を訪れました。(2010年10月23日訪問)



亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_2373341.jpg
訪れたのは宵々山の日の夕刻。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_2374044.jpg
通りに置かれた花灯路の行燈に灯りがともる頃でした。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_2372755.jpg
亀岡祭は、毎年10月23日から25日までの3日間行われる鍬山神社の例祭で、「丹波(口丹波)の祇園祭」とも言われています。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_2374784.jpg
まず23日の宵々宮を訪れ、11基ある山鉾を一つずつ巡っていくことにしました。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_73008.jpg
こちらは西町の「八幡山」。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_730119.jpg
氏神の鍬山神社の祭神である誉田別尊をご神体とする八幡山は、宝暦13年(1763年)に曳山として建造され、天保12年(1841年)に現在の姿に改装されました。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_7295272.jpg
近年、ご神体の人形、水引、前掛、見送、胴掛、天幕を新調・補修され、美しい絵柄を見せてくれました。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_730839.jpg
八幡山を過ぎ、お寺や、
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_730870.jpg
落ち着いた家並みが続く狭い道に山鉾が佇む情緒ある風景の中を歩いていきます。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_7301620.jpg
次に見えてきたのが紺屋町の「武内山」。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_7301727.jpg
山口県下関市長府の「忌ノ宮(いのみや)神社」を元宮とする武内宿祢(たけうちすくね)が、幼い応神天皇を抱いた姿をご神体としており、
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_7302770.jpg
山の真木には「忌ノ宮神社」から見える瀬戸内海の沖合の「満珠島」「干珠島」をモデルにした飾りがつけられています。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_7302873.jpg
続いて、新町、旅籠町の「稲荷山」。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_7303763.jpg
稲穂を担う「稲荷神」がご神体の稲荷山は、装束箱に寛延4年(1751年)とあり、約250年前に創建されたものです。亀岡祭の中心である新町、旅籠町、柳町の四つ角に飾られるため、町内総出で飾り付けが行われています。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_7303938.jpg
稲荷山を背に進むと、花灯路の行燈が並ぶ道が続き、
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_7304835.jpg
買い物帰りの人が行き交う生活感溢れる空間の向こうに、光に浮かぶ山鉾が見えています。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_730495.jpg
振り返ると稲荷山が家並みに挟まれるように佇んでいました。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_731077.jpg
光の道の向こうに見えてきた山鉾は、
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_731940.jpg
柳町の「高砂山」です。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_7311179.jpg
高砂山は人形道具箱の銘によると宝暦5年(1755年)頃に舁き山として建造され、文政8年(1825年)に現在の曳山に改修されました。前掛の「寿」の字は、当時の見送の刺繍が「鶴に寿の字」であったところから前掛に「寿」の字を用いたと言われています。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_22182746.jpg
謡曲「高砂」の「尉」と「姥」をご神体としています。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_7311940.jpg
現在の見送り幕は、西陣で製作された大型の綴錦で、当時最も高価な織物と言われていました。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_7312134.jpg
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_22181921.jpg
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_15292130.jpg
続いて見えてきたのが風情ある町屋に佇む
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_7313164.jpg
塩屋町の「蛭子山」です。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_1529832.jpg
釣り上げた大きな鯛を抱いてニッコリと笑った恵比寿像をご神体とする蛭子山は、旧胴幕に転用された水引幕の銘文から、寛延4年(1751年)頃に建造されたと考えられています。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_15291696.jpg
蛭子山の自慢は西陣大型綴のこの見送幕。三人のオランダ人を描いたこの綴織りは、鎖国の時代の中で外国の風景を題材にした大変貴重なものです。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_15292717.jpg
この辺りは町屋が多く残り、落ち着いたたたずまいの中で山鉾が光に浮かび上がっていました。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_15294644.jpg
次に見えてきたのが矢田町・京町・上矢田町の「難波山」。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_15294058.jpg
応神天皇が百済国から招いたとされる学者「王仁」像がご神体で、約200年前の寛政11年(1799年)に再建されたとき、町内の人たちは10年間にわたって質素倹約を徹底し山鉾建造に力を人れたとの記録が残っているそうです。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_1529519.jpg
行燈が並ぶ風情ある家並みが続きます。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_15295752.jpg
その先に見えてきたのが呉服町の「浦島山」です。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_1530133.jpg
釣竿を手にした浦島太郎をご神体とする浦島山は、天明7年(1787年)の行列帳に記載され、この頃に建造されたと伝えられています。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_1530648.jpg
中国・清朝時代の水引と朝鮮毛綴の胴掛が素晴らしいことで知られています。
亀岡祭 -宵々山①-_b0169330_1530113.jpg
山飾りがしばらく途絶え会所での部屋飾りとなっていましたが、平成5年、町民の想いと結束により山が復活しました。

by kyoto-omoide | 2012-10-23 17:00 | 京都(祭) | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード


<< 亀岡祭 -宵々山②-      東京駅 >>