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2018年 07月 26日

京都三条会商店街 -八坂神社(又旅社)-

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祇園祭発祥の地、八坂神社(御供社)。



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三条会商店街の中に、
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鳥居があります。
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「Sweets Cafe KYOTO KEIZO」の道を挟んだ隣、
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「ケーキとあっくん」の真向いになります。
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「八坂神社御供社(ごくうしゃ)」。
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商店街の中の日常に溶け込んだ小さな神社に見えますが、
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ここから「祇園祭」が始まったという由緒正しき神社です。
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平安時代の869年、都で疫病が流行し、その原因は朝廷に反抗し非業の死を遂げた六柱(早良親王など)の御霊にあるとされました。
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そこで、多くの御霊を鎮めるために平安京内の広大な庭園だった「神泉苑」の池のほとりで、
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御霊会(ごりょうえ)が執り行われました。
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御霊会は当時の律令制度の国の数である66本の鉾を作り、神泉苑の南端(現在の八坂神社御供社)に鉾を立てて「祇園社(現在の八坂神社)」から三基の神輿を出して行列するもので、これが現在の祇園祭の起源となりました。
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又旅社(御供社)は八坂神社の御旅所で、四条京極の御旅所に対して「又旅所」、三基の神輿を迎えて神饌を御供えすることから「御供社」と呼ばれます。
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江戸時代初期に徳川家康が二条城を築城した時に神泉苑は大幅に縮小されましたが、建物も行事も大切に継承されてきました。「御供社」は明治39年(1906年)に「八坂神社」の末社となり現在に至ります。
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祇園祭還幸祭では、神輿が当社に立ち寄る慣わしになっています。
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「八坂神社御供社」は、商店街の中の日常に溶け込んだ小さな神社ですが、
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ここからあの「祇園祭」が始まったという歴史ある神社です。
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そんな歴史上、大きな意味を持った神社が、庶民の生活の中に当たり前のようにあるのも京都らしさを感じさせます。
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八坂神社御供社では、
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神泉苑と関わりある神事が現在も行われています。
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祇園祭還幸祭の前日の7月23日、
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オハケ神事と呼ばれる斎竹建(いみたけたて)が行われます。
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オハケ立ての神事とも言い、
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還幸祭で巡行する3基の神輿を迎えるための祭場オハケが設けられるもので、
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社の南側に芝生(縦70cm×横2.2m)が敷かれ、
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四隅に斎竹を立て、芝生に御幣が3本立てられます。
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芝生は神泉苑の水辺を、御幣は3基の神輿を表すと言います。
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かつて、この地は祇園御霊会が行われた神泉苑の南の端であり、
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7月24日に社前に立てられるオハケは、神泉苑のほとりの祭場であった時代の名残と言われています。

by kyoto-omoide | 2018-07-26 07:30 | 京都(夏) | Comments(0)
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