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2018年 09月 29日

京の夏の旅2018 -輪違屋(後編)-

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輪違屋の夏。



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主の間に入ると、
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1階の主座敷に当たる部屋で、
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襖には何枚もの紙が貼られていて、
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当時の芸舞妓が常連さんに書いた恋文が書かれています。
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そして主の間の反対側には、
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緑の苔が美しい庭園が広がっていました。
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縁側に出て、
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庭園を眺めます。
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右側の石燈籠は、
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キリシタン灯籠です。
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すぐ横に立てられているのが、
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新選組の近藤勇の書を屏風に仕立てたものです。
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そんな新選組ゆかりの輪違屋ですが、
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元は豊臣秀吉が許可した日本最古の郭として、東本願寺の北側、六条三筋町にあり、吉野太夫などの名妓を輩出しました。
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しかし京都所司代から、郭が市街地にあるのは風紀上よろしくないと移転が命じられ、
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寛永18(1641)年に現在地へ移転してきましたが、その時の騒動は3年前に起こった「島原の乱」を思わせる雰囲気だったことから、この地は「島原」と呼ばれるようになりました。
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床の間の、
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掛け軸にも歌が書かれた紙が貼られており、
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こちらは江戸時代に吉野太夫が書いたものです。
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今も島原に残る唯一の置屋、
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輪違屋は、
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「養花楼(ようかろう)」ともいいます。
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元禄年間(1688~1704年)に創業しましたが、
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建物は安政3年(1856年)に焼失したため、
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翌安政4年に再建され、その後明治4年(1871年)に改造され、ほぼ現在の姿になりました。
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1階の主の間の見学を終え、
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玄関のほうに戻ります。
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格子が美しいこの部屋から、
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2階へ上がります。
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2階は撮影禁止ですが、3つの部屋があります。
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京の夏の旅のパンフレットの表紙にもなっているのが「傘の間」の襖。銀箔の無地に本物の道中傘の紙を貼り込んだもので、部屋の襖を全て閉めると4本の傘のデザインが部屋を彩る設えになっています。「太夫の間」の向かいには「紅葉の間」。本物のモミジを塗り込んで乾燥後に顔料で着色した壁になっています。
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2階の窓からは主の間の建物に沿って庭園がL字型に続くさまを見下ろしました。
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前回が10年ぶり、今回が4年ぶりの公開で、次はいつ公開されるかわからない輪違屋。
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最後にここを訪れて今年の京の夏の旅の締めとしました。

by kyoto-omoide | 2018-09-29 12:10 | 京都(特別公開) | Comments(0)
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